阿部彩『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』(2011年,講談社現代新書)

を読みました。
本当は最新刊の阿部彩『子どもの貧困Ⅱ―解決策を考える』(2014年,岩波新書)を先に読んでいたのですが,津山でのセミナーのパネリスト用に読み始めたらおもしろくて先に読み終えました。私は社会的排除・社会的包摂,貧困問題については,(弁護士にしては)たくさん本を読んでいるつもりですが,今まで読んだ本の中で入門書としてぜひオススメしたい本です。
特に,絶対的貧困と相対的貧困に関する以下の説明(p68)はとても分かりやすいです。
「第二次世界大戦中そして戦後の日本は,極端な食料不足であった。大多数の子どもたちは,餓死までには至らないにしても,いつもお腹を空かせていた。これは,絶対的貧困の典型例である。一方で,2011年の現在,たとえば,クラスで一人だけ給食費が払えない子どもがいる状況は,どうであろう。みんなが同じ給食を食べているとき,その子は一人,家から持ってきた塩おにぎりを食べているとしたら。これが相対的貧困である。その子の感じる疎外感,心理的ダメージはどのようなものだろう。みんながお腹を空かせていた中で育った子どもと,一人だけ給食が食べられない子ども。どちらがより貧困の影響を受けるであろう。答えは,それほどシンプルではない。」
また,いつも統計データを基礎として論じるスタイルの著者が,第3章「つながり」「役割」「居場所」において,「関係からの排除―つながりがあるということ」「仕事からの排除―役割があるということ」「場所からの排除―居場所があること」を論じる際に,著者がかつてボランティアとして関わっていたホームレスの方々(「路上の先生」)のエピソードを紹介しているのがとても印象的でした。
あとがきでも次のように述懐されております。この文章で私は著者のことが大大好きになりました(*^-^*)。
「研究者となってから12年。私はずっと,彼らとの出会いを文章にすることができなかった。それは,彼らが生身の人間であり,彼らのエピソードはあまりにも生々しく,思い出はあまりにも痛々しく,美化した文章に描ききれるものではなかったからである。本書では,微笑ましいとも言えるエピソードを書いたが,彼らの人間のものとは思えないほど腫れあがった足や,服を脱ぐと現れる大群の虱や,相当覚悟がなければ近寄れない臭いや,彼らの生の中での悲惨な部分は書くことができなかった。私の出会った人々のすべてが今は亡き人となっていることも。そして,何よりも,彼らのことを,「メシのタネ」とすることに大きな抵抗があった。今でも,その葛藤は,私の心の中に渦巻いている。」
「だが,(中略)私は社会的排除/包摂というトピックについて,彼らのことなしに考えることはできない。社会的排除を,抽象的な理論や,無機質なデータで語ることができない。私が知る社会的排除は,虱や体臭のように生々しく,リアルで,社会的包摂は,大地のように「人間の生」にとって決定的な基盤だからである。私は,社会的排除を抽象的に語ることができない。「この生々しさをわかってほしい。」叫びたいような,この衝動を抑えることができなかったのである。」
私も「弁護士」として,同じような葛藤に苦しみながら,日々の仕事をしたいと思っています。

About the Author :

所属:津山支所