『少年と自転車』ジャン=リュック&ピエール・ダルデンヌ,2011年

を観ました(内容を書いてるので観る予定の人は読まない方がいいです。)。
大学の頃に『イゴールの約束』を扇町ミュージアムスクエアで観て以来,私はこの兄弟監督の作品をこよなく愛しているのですが,『少年と自転車』も本当に愛おしい映画でした。
児童養護施設に預けられたもうすぐ12歳になるシリルは,父が転居先を知らせずに引越し,大事な自転車を勝手に売ってしまったことを信じられず,施設や学校を脱走しては父と自転車を探し求めます。ようやく見つけた父からは,「もう会いに来るな。」「電話はしない」と拒絶されてちゃって。父に拒絶された帰りのシーンでは,車の後部座席から斜め前の助手席に座ってるシリルの横顔をずーっと映しているのですが,全く表情が変わらないまま,その後突然自傷行為に至るのですが,とてもとても素晴らしい心理描写でした。
シリルの週末だけの…里親になるサマンサも,どうして父に売られた自転車を買い戻したのか,里親になることを承諾したのかについての経緯は全く描かれず,完全に観客の想像に委ねています。最初の方でサマンサはシリルに言葉での表出を求めてしまって,シリルが美容院の洗髪台でひたすら無言で水を流し続けることの意味を理解できずに苛立つシーンなんて,何てリアルなんだろうと思いました。
シリルは,その後,地元のワルに惹かれて犯罪(強盗)に至ってしまうのですが,慕っていたワルからも,盗ったお金を渡しに行った父にも拒絶され,夜の道を自転車で必死で疾走するのですが,そのシーンを長いことカメラが追ってて(さすがにあのシーンは同時録音ではないと思いますが。),とてもとても素晴らしいシーンで,石川寛『tokyo.sora』の走るシーンを思い出して,涙が出てきました。
そして,法(「言葉」)による解決の後,サマンサと自転車を交換して乗るシーン(これまでのシリルと自転車とカメラの距離関係と不安定さとの対比も素晴らしいです。)と草むらでサンドイッチを食べるシーンで,シリルとサマンサの言葉によらない濃密な感情の交流を演出するあたり,もう憎らしくって仕方ありません。
ラストシーンは,ダルデンヌ兄弟のいつもの映画のとおり,「ここで終わるか?」って感じの,ある意味期待どおりの終わり方で,この映画はシリルの「ある時間」を切り取っただけで,その後についてはまた犯罪を繰り返すかもしれないし,サマンサとの関係が切れるかもしれない危うさを残しつつも,少年が周囲の愛によっていかようにも変わりうることを想像させるような終わり方で,もう思い出すだけでじわじわ泣けてきます。
たまたま昨日,NPO法人子どもシェルターモモの定期総会に出席したり,今日は「まじくるフェスタin岡山」でNPO法人岡山・ホームレス支援きずな,NPO法人メンターネット,モモ,NPO法人おかやま入居支援センターのお話を聞いたのもあって,寄り添って支援することの大切さと難しさを考えていた時期に,この映画に出会うことができて本当によかったです。
岡山ではシネマクレールでしばらく上映しているので,興味のある方はぜひぜひどうぞ。

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所属:津山支所